BLACK SUN

真実を学ぶ。

死、死について; 死にゆく人のために

Death, Dying; For Those Who Are Dying

HPS Lydia
2024.8.5.at 7:17 AM

ここにいる誰もが、キリスト教やその他、敵対する宗教が精神性を堕落させたことを知っています。キリスト教が "死の教団 "だと言われるのは、自分の人生や喜びや情熱や熱意を抑圧し、半死半生の状態で生き、ゾンビ・ユダヤ人と永遠に雲の上に浮かぶか、永遠の火に焼かれるかのどちらかの死を待つことだけに焦点を当てているからです。イスラム教はさらに悪く、さらに多くの生活を抑圧しています。新時代のムーブメントだって、本当は生きていません。真のスピリチュアリティとは人生を豊かにし、人生をより有意義なものにしてくれる為にあり、スピリチュアル・サタニズムは、真の意味で自分の可能性を最大限に発揮して生きるための唯一の道なのです。

過去の古代文化は、生と死を理解していました。 「死」は決して永続的なものではなく、ある人生から死後の世界へ、そして新たな人生への移行に過ぎません。このサイクルは自然界と同じように、個人が神格を得るまで続きます。それはサタンと、サタンと手を組む他の神々の指示によってのみ達成されます。

死は決して病的なものとは思われていません。誰かが死について言及するたびに、それを語ることがいかに "病的 "であるかという苦情を長年にわたってここで見てきました。宗教全体が堕落しているのはキリスト教だからです。キリスト教とは病的である。

事実、輪廻転生の必要性が無くなり進化するまでは、誰もが死にます。ここ『Joy of Satan』では、人間は進歩し、神になることが出来る事を知っていますが、そのプロセスには一生を要します。過去世で既にワークをし、前進してきたメンバーもいるでしょうから、現世で一人でも多くの人が、ゴッドヘッドに到達できることを心から願っています。

しかし現実的なことを言えば、ほとんどの人は少なくともあと1回は生涯を終える必要があるでしょう。これは特に何の問題もありません。魂とはそういうもので、成長し、進化し、進歩するには時間がかかるものです。考えてみて下さい。サタンが創造したすべての魂は、最初の人生で神格化されたでしょうか?そうでない事は明らかです。

はっきりさせておきたいのは、死は悪いことではないということです。愛する人が亡くなるのはとても悲しいことです。私自身、最も大切な人の1人を亡くし、昨年は別の愛する人を亡くしました。また、12年ほど前に、SSの友人(yahooグループのオンライン上の友人)が亡くなりました。とても悲しいことだけど、これも自然の一部です。これは人生というものです。私たちがそれぞれ死を乗り越え進化したその後に死が待っています。人生の後には死が待っている... しかし、死の後には再び生が訪れる。

古代の大祭司の役割の一つは、人生の終わりに近づいている人々が、死後の世界への移行を準備するために、彼らの魂と良心の手助け、人々を支援することでした。キリスト教はこれを堕落させ、「死の床での告白」を作ったのですが、堕落しているとはいえ、本物のスピリチュアリティには基づいている。

死ぬ間際に、未解決の任務ややり残したこと、後悔を抱えたくはないでしょう。これは死後の世界に入ることを難しくすることになり、だから私たちの地球には幽霊が沢山いるのですサタンに献身している者は皆、あなたが死ぬとき、私達の神々はすぐ側にいて、あなたを冥界へ連れて行くので、幽霊としてここに閉じ込められる心配はありません。だから心配はいりません。

しかし、後悔ややり残したことは次の人生に持ち越されます。これはカルマが築かれる方法のひとつでもある。死ぬ前に自分自身と、人生に関わった人々に良心の呵責を晴らすため、和解する必要があります。問題を無視し、良心の呵責がないふりをするのではなく、平和のために必要なことは何でもしましょう。

旧友や親戚との確執、恨みごとがあれば、会う約束をして解決するか、或いはメールで胸の内をすべて吐き出すのです。貴方に死期が迫っていることを知れば、問題解決する為に協力することを惜しまないでしょう。これは誰もが知っているか聞いたことがある事実で、私たちは皆、先祖代々の意識の中にそれを持っているのです:死に際には、平和をもたらしましょう。次の人生をより良くスタートさせるために、良心の呵責なく死後の世界へ進むため、出来る事をしましょう。

さて、葬儀について。

https://ancient-forums.com/threads/death-funerary-rites-in-spiritual-satanism.95833/

さて、葬儀についてです。 フーデッドコブラ大僧正はすでに、葬儀に関する「demonの儀式」の項を更新すると述べています。しかし、それはさておき、皆さんの多くは、自分が死んだら、あるいは死んだら、SS以外の家族は何をしてくれるのだろうと心配しているのは当然です。 あなた方の多くは宗教的な家族を持ち、その家族はほぼ間違いなくあなた方のために宗教的な葬儀を執り行うでしょう。心配しないで下さい、貴方の魂には何の影響もありません。心配しなくていいのです。これらの "宗教的儀式 "は、サタンに献身する者には何の力もありません。もし可能であれば、無宗教の式を依頼しておくことも出来ます。特に欧米諸国ではこれらはますます人気が高まっています。また、前もって自分で式の計画を立て、費用を支払い、手配した要望を弁護士や葬儀社に託すことも出来るですが、これについては現実的な期待を持っておく必要もあります。彼らはあなたのためにサタニックな葬儀をするつもりはありませんが宗教的なものはすべて省き、他の顧客のために既に準備した例を示すでしょう。

愛する人が亡くなった場合、もちろん神々にその死を頼むことが出来ます。しかし、あなたが一家の長でない限り、その人たちがどのような葬儀を行うかについて、あなたが口を出すことはほとんどないでしょう。だから、彼らの葬儀について、行けるか行けないか迷っているかも知れません。勿論行けます。たとえそれが教会であっても。これは神々に対する冒涜ではありまさん。私たちの神々は、キリスト教イスラム教などのふざけた宗教よりもずっと強いし、私たちの神々は、私たちの神々がそうであるように、人間が本質的に社会的であることを理解しています。

個人的な立場で教会葬をボイコットするのは自由ですが、注意してほしい:あなたはおそらく他の愛する人たちを疎外することになるでしょう。それが自分にとってベストだと思うのならそうすればいいのですが、もし可能なら教会に参列し精神的にキリスト教を冒涜し、代わりに神々の瞑想をする事が望ましいです。

最近、死期が迫っていると投稿するメンバーが何人かいました。また、高齢の会員もいます。 今後、人生の終わりに近づき、死ぬ前にスピリチュアルな目覚めを経験するような会員がJoSを見つけることも増えるでしょう。はっきりさせておきたいことがあります:フーデッドコブラ大神官と私は、いつでもあなたの為にここにいます。精神的なサポートが必要な場合でも、メールを下さい。遠慮はいらないし、貴方を私たちが邪魔だと思うことも、気にしていないとは思わないで欲しい。これは聖職者としての私たちの役割のひとつです。 そして、私たちは皆さん一人ひとりをとても大切に思っています。

元記事

https://ancient-forums.com/threads/death-dying-for-those-who-are-dying.290795/post-1081291