BLACK SUN

真実を学ぶ。

阿弥陀如来仏と十一面観世音菩薩像の関係

古代の移築論説からの考察です。
日本の歴史、記紀神話に閉じ込められた真実を紐解く為には、遺跡はもちろん、祭り、能楽、舞、謡曲人形浄瑠璃萬葉集の歌、源氏物語御伽草子を知ることから始める事をお勧めします。

仏教、仏像も幅広く、敵により曲解された部分もあるので、脊柱反射せずキーワードから自分で考察されて下さい。

…………

神功皇后で知られる息長足姫は、応神(筑後風土記では鷹神(おうじん)と呼ぶ)の母であり、509年4月17日に亡くなります。その子息、磐井の乱で知られる磐井(磐井=倭王武の子=応神)が11歳で国王に。

倭王・倭薈(いわい)の誕生である。

倭薈(いわい)は、偉大な母が亡くなった後、菩提として、母の故郷である大楠が樹生する九州の、今の佐賀県三瀬村に、517年初瀬(はつせ)寺=長谷寺を創建。
高さ10mの大楠1本造りの『主尊十一面観音像』を造ります。(マイナーですが、日本人なら1度は見ておきたい芸術作品です。)
これが観音信仰の始まりです。

721年、奈良の長谷(初瀬)に移築されました。


現代を解く・長谷寺考 画像掲載

倭薈王(いわいおう)の母、神功皇后=息長足姫の命日が4月17日であり、観音祭りがこの日に行われる所以です。

倭王・倭薈(いわい)には別名がある。
寧楽帝(ならのみかど)です。
王でありながら修行する文武両道に優れた賢者であり、代々の倭王に続き、中国南朝や、半島の百済とも友好関係を築いていました。

修行する王と云えば、”エジプトのファラオ”や”アレキサンダー大王”と同じ。
歴史は抹消されていますが、倭王・倭薈(いわい)も、自らも戦い国政を担う王でした。そして、偉大な王には必ず優秀な参謀、神官が側近にいます。

倭王・倭薈(いわい)には、棟梁でもあり歌人でもある古代のスーパーエリート、柿本人麿が側近にいました。
えっっ?!ですよね。多分困惑します。

この柿本人麿という人物の歴史も謎だらけにされている1人ですね。定説では生きてる時代が違う!と反論されますが、
歴史の史実を繰り上げ改竄されているのは事実なので、今更驚かないし”さもありなん”です。定説通りに読みといても永遠に真実にはたどり着けません。
文献だけでは真実は闇のままです。

それから、決して中国・朝鮮半島が認めませんが(日本乗っ取り壊滅させた勝者が認めるはずもない)、広開土王碑にもある”任那・伽羅”は、卑弥呼以前から戦を繰り返し占領した土地だと考えられます。そして、勝った倭国倭人が住み生活していた。今の朝鮮の人の祖先となる人種と倭人は遺伝子が違います。朝鮮人の祖先となる人種は、倭国が消滅したあと、北から徐々に南下した人種でしょう。

それから宗教の伝搬について。
仏教は中国経由でしょうが、倭国は、海人の島国なので、とっくの昔にエジプト、インド、チベットとの繋がりがあったと考えられます。それは、倭国の古墳の特徴である装飾古墳や風俗を知れば理解できます。

地名に「羅」「多良・太良」「須佐」が多いのも、早期にエジプト、インド、チベット、中東、南方との交流があった名残りでもある。故に、半島南部は「任那伽羅」の地名であるはずだけど。

中国朝鮮半島側は「伽耶(かや)」と云う。そして任那も認めない。広開土王碑にハッキリ「任那伽羅」と書いてあるにも関わらずに、です。
「羅」という文字はインドを連想させるので、字面を「良」に改竄したのでしょう。地名には意味があり、必ずその地の特徴を表して名付けています。

平成から全国各地で改名が続き、昔の地名を探すのが難しくなりました。徐々に風化させ、歴史の足跡を解らなくさせる為、抹消するのでしょう。

愚かな民は騙されてばかりです。

百済も「久多羅」「久陀羅」ではなかったのか?と考えます。百済を「くだら」と発音する読みが、中国語にしろハングルにしろ発音が違うからです。
さらに調べてみる必要がありそうです。

話がだいぶ逸脱しました。

奈良にある長谷寺は、佐賀の初瀬から移築されました。

何故?長谷寺が移築されたと断定するのか?「建築様式」と「尺」の違いです。
尺が違えば、一間の長さが変わります。

▫️「高麗尺」→高麗建築
地震知らないので倒壊する構造。
実際、高麗人が建てた建造物は7世紀頃の地震で倒壊している。
地震経験後から倭国の建築を真似る。

▫️「倭尺」で建てられた建築様式は、地震大国日本ゆえの、自然から学び、独自に技術開発された建築構造だ。
縄文時代は掘立様式、地震経験後から、礎石に変更。しかし礎石は明治以降から徐々に廃されている。
織田信長に謁見したルイス・フロイスは、日本は礎石造りであると述べているので、明治から徐々に廃されたのだろう。

地震大国で培われてきた古代の技術、恩智を継承することなく廃されたのは悲劇である。倭国の建築様式は、激動の7世紀地震でほとんど倒壊せず、現代に残っているのだから……

従って。
日本の木造建築は、決して中国を模倣したものではありません。あの時代に独自の技術を確立していたのだ。
中国は樹木、大木も少なく、竹簡の竹文化が主流。日本は木簡です。
風土の違いからも中国が決して木造建築技術の先進国ではない事を理解出来るはずです。中国は石造り、煉瓦が中心なのだから。

こんな嘘が古代から横行しているのは、窃盗をする人種が背後に絡み、国を乗っ取る歴史を知っているならば、流れを理解することは簡単な事です。

建築家の友人でさえ、倭尺の知識を知らず有名な公共建築に携わっているのが現状なので驚愕しますが…尺については、また話が長くなるので(笑)、別blogに書きます。

話が脱線ばかりでごめんなさい。
元に戻ります。

初瀬の観音様は霊験あらたかであると、特に女性に人気があり信仰され、東アジアに広く知れ渡っていたことが他国の史記にも垣間見えます。

ふと思ったのですが……
倭王・倭薈(いわい)が母を弔う為に造らせた観音様ですが、何故、観音様だったのか?考えるに、倭薈(いわい)の頃、シヴァ神、女神リリスを仏教伝来以前に、既にリグ・ヴェーダや、神の存在を認識していたのではないでしょうか?


源氏物語には、よく「初瀬詣」で知られている初瀬の御寺が登場する。
「初瀬の観音様」
長い谷間の形状地に初瀬が建てられたせいか、長い登り回廊を渡り歩いてようやく奥の本殿へ辿り着く、独特の特徴がある寺です。

この初瀬寺=長谷寺は、棟梁・柿本人麿が牽引して創建されたものです。
そうなると…世界最古の木造建築は
法隆寺より前の、初瀬寺=長谷寺ということになりますね。信じられないかもだけど。科学的に証明出来そうですが、都合の悪い宮内庁側から許可が降りることは永遠になさそうですが…

そう云えばお気づきですか?
仏像ファンでもない限り気づく人はいないけれど、観音様には必ず頭上に「阿弥陀」さんが乗っかっていますよね。
製作した仏師の思想や時代が仏像には表れています。

自ら日々修行する王である倭王・倭薈(いわい)は特異な風貌の王でした。
倭人の特徴は「黥身」
航海術に長けた海人族である倭人の王
賊ではないけど…海王だ。

倭薈(いわい)の胸には、逆卐紋の刺青を施していた。なので、阿弥陀仏の胸には勿論、逆卐紋が印されていたはずだ。東大寺の盧遮那仏とされる阿弥陀如来も。


東大寺大仏蓮弁線刻画

平等院鳳凰堂阿弥陀如来

何度も何度も”卐”を消そうと努力した跡があり(宮内庁側は大変笑笑)やっとつい最近の改修で完璧に抹消したようです。
以前に写真撮影されている人は、見比べてみてください。
ツヤツヤの金ピカで隠されました。

阿弥陀仏が”倭王・倭薈(いわい)”とバレては困るのである。しかも逆卐なので、古代の宗教や文化歴史まで露呈するので、徹底的に抹消したい意図が見える。

定説は、仏教伝来は中国からなので。

因みに、お地蔵さんは、倭王・倭薈(いわい)の幼き頃を模した物と云われる。
子供の守り神とされた。
地蔵祭りは必ず相撲をとる。”相撲の神”にされた細男神手力男神?となる人物が臣として仕えていたはずです。
住吉の神にも関連する。

行基はせっせっと各地に地蔵菩薩を祀り
北から南まで、祭りは、倭王を讃えたもので溢れています。

観音様と阿弥陀さんとお地蔵さんは、必ずセットなのだ。古代の人々は全国で倭王を認知していたのは間違いない。

十一面観世音が母で、阿弥陀如来が子の倭薈(いわい)であり、2人を讃えた仏像である事が世間にバレると困るので、移築論は、廃盤され認知度も低く、誰からも指示されませんが、必ず真実が明るみになる日が来ます。

記紀神話の中に永遠に葬りたい敵の野望は必ず打ち砕かれます。


最後に。

万葉集 巻第十 1873〛

いつしかも この夜の明けむ うぐひすの 木(こ)伝ひ散らす 梅の花見む
ー詠み人知らずー

「寛平の治」を中心に、倭王・倭薈(いわい) 在位の510年から531年2月7日迄善政が敷かれた。その時期に歌われたと思われる。[いつしかも]は、疑いの全く無い、完全実現の意。

現代の私達には実感のない[いつしかも]

この歌われたと考えられる時代、日本には、一重の”白梅”しかなかった。
一重の”紅梅”が入ってきたのは、600年初頭らしい。「源氏物語」は紅梅、白梅の葛藤が裏にあると説く学者もいる。

源氏物語」はフィクションではあるが、その舞台となる場所は存在していて、実在する人物も含め物語として語られている。

1000年頃の平安時代に発表されるが、
源氏物語」は、実は600年代の、乙巳の変が起きた激動の時代の話である。
その頃に、上宮王、その息子光源氏がいて、国風文化が華開いた時代です。

勿論600年代の著作であることを隠す努力を怠らないのは言わずもがなですが。

私たちは、その時代を645年乙巳の変と暗記し、歴史を学ばず記憶しただけ、素通りしただけなのだ……


八重の紅梅が咲く現代。
殿上人がご覧人になったら、どう思うのだろう?どんな歌を詠むだろうか…

源氏物語や萬葉の歌は、恋愛物語ばかりではなく、ある時代の殿上で起きた事件、悲しい史実を憂う歌など、歴史書であることを知ると、また新しい考察ができるはずです。

視点を移築論から学びを始めると、歴史がすんなり紐解けます。


乱文を最後まで読んでくださり
ありがとう。

〚参考書籍〛
・逆賊磐井は国父倭薈だ/米田良三 著
・建築から古代を解く/米田良三 著
・盗まれた神話/古田武彦
・柿本人麿の真実/米田良三 著
・現代を解く・長谷寺考/米田良三 著